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書き殴りぶんしょー

 

 

春先の満開の桜が、昨日の雨の所為か辺りの空を霞ませ、花明りとなりぼんやり白くたゆたっていた。
数日もすれば忘れてしまうような、染み入るような仄かな美しさ。すぐ散ってしまうこの花は儚い。
花見の宴会場が近い帰宅路を歩いていると、焼き鳥の匂いが遠くからして、思わず目を遣った。
ぼわんぼわんと揺れるぼんぼり提灯に照らされた店先に数人のサラリーマンが入っていき、
店の横に咲いた桜からは白い花弁が落ちる。

脱色してぱさついた髪の毛が風で、ふわりと揺れた。
黒く染めなおそうか。人工的に作りあげた綺麗が妙に胸の中で影を落とす。

まるで自分がないのよ、あんたは。友人に言われた言葉を反芻する。
煌びやかなドラマの女優を見ては髪形を真似、自分の好みと反するほどほど無難なお洒落服に身を包み、
流行りだからと特に悩みもせず髪を巻く。
流行りを追うくせに、自然な桜の美しさに恥じて黒髪に戻そうかと悩む。
主体性のない奴と詰られてこれは当然なんだろう。
風の前のぼんぼり提灯と同じ、僅かな風にゆらぐ、そんな自分が好きになれない。

 

「ただいま」

 

玄関の扉を開けて速攻見えるTOILETと札のかかったこの間取りはどうなのか。
前にあれを外すか外さないかの言い争いから、珍しく口喧嘩に発展して、
むしゃくしゃして携帯を投げつけて、壱の額にクリーンヒットさせた。
今思い出せば、ほんとどうだっていいことだ。ただ、互いに譲らず主張を言い募る内に、悪かった体調も相乗効果で
どうしようもなくむかついた。額にぶつかった携帯はバウンドして壁に当たる。
携帯のカバーに付けてたミニーちゃんの耳が欠けて、間抜けな姿をさらしていた。
直ぐに生理のせいにしてしまうけれど、大した意味もなく苛々してしまって、もうどうしたらいいのか自分でも持て余していた。

 

 

おかえり、の返事が無い。先に帰った方が夕飯を作ると決めたルールの為、部屋に向かわずそのままキッチンに向かう。
今日はまだ気持ちに余裕があるから、壱の好きなものでも作ってあげようと冷蔵庫を開けた。

卵、玉葱、ねぎ、豆腐、あとレモンチューハイ。
壱、また何か知らない間にお酒買ってる。飲みもしないのに、なんであいつ買ってくるのか。

帰って割烹着姿の彼女が手料理つくってんの超よくない?
ああそう、私はそう思わない。そんなの時代錯誤みたいだからやめて。

みたいな遣り取りがあってこの家は割烹着どころかエプロンもない。絶対買ってやるものかと思う。
時折よく分からない気持ち悪いフェチに私を従わせようとあれこれ言ってくるけど、
言われる程此方もいやになり、NOばかり突きつける。可愛げが無いな、自分でもそう思う。
ここでちょっとのってあげて、じゃぁ可愛いやつ買ってよね♡みたいな砂糖でコーティングした台詞がはけたら
ずっとずっと生きやすいんだろうな。それにきっと周りからも大事にしてもらえる。

冷蔵庫から食材を出しながら、そういえば冷蔵庫の中身が増えたってことは、壱帰ってたのか、と気づいた。
手狭な玄関だから、壱は帰宅するたびに毎回靴を備え付けのクローゼットにしまう。
私は仕事履きにしているパンプスはクローゼットに仕舞わないので、たまに壱の帰宅に気付かない。
あいつは薄暗い部屋がいい、とよく電気をつけないので、灯りの有無で在宅かどうかの推し量りも出来ないのだった。
寝室のドアを開けると、壱がスーツ姿のまま転がっていた。
なんだかめんどくさくなって、私もその横に座る。

春先の少し熱の籠り始めた空気も、まだ夜は煮え切らず、しんと冷たさをしのばせる。
暖を求めて毛布をかけ、足を擦り寄せた。

隣の寝癖なんだか癖っ毛なのか分からないようなぼさぼさ頭の男は起きそうになかった。
引っ張れば容易く千切れそうな丸くなった髪の毛を指で摘み伸ばす。
綺麗な直線になったそれは手を離せばまた元にくるりと戻ってしまった。
いつも朝ワックスを撫でつけ苦戦しながらセットしている壱のこの癖っ毛、
本当は触ると柔らかくて好きだった。その言葉は言えないまままでいるけれど。

 

 

裾野で催されているライトアップ、夜桜を照らす提灯の光が揺らめいている。
これは風流なんだろうと思えるまだ自分の感性に少し安心する。

私たちの借りているマンションは、丘をぐんぐんのぼった位置に建つ不便な立地故賃料が安いところで、
何処に行くにも不便なのだけど、街を見下ろすかたちになり、うっすらとその先には海も見えた。
宵の口から猫の額ほどのベランダに出て、煙草をぷかぷかしながら、灯りを灯す街並みを見るのがあたしの好きな事のひとつだ。
夕焼けで建物が赤く染まるのも綺麗だけれど、やっぱり暗い闇の中に浮かぶそれぞれの家庭のひかり。
家族団らん食事を共にするダイニングを照らす明かり、忙しく働く独身のサラリーマンがようやっと帰宅し点ける明かり、
受験勉強に励む背中を照らす明かり。同じ時間同じ街で、きっと皆意味の違う事をしているんだろう。
常々自分の事を評価できずに自己承認の低いあたしは、何故だかこの景色を見ているとホッとする。

仕事疲れなのか、それともあたしの所為なのか判然としないが、
最近疲れているように見える男、壱はスーツのままだらしなく布団に寝っ転がっている。

昨日は昨日で、帰宅の遅れた壱におかえりを言ったはずなのに、うんとかちょっとオレとか言いながら俯してしまった。
時計が一日の終わりを告げたそのくらいの時間だった。ちょうどあたしはトイレに行こうと玄関の前に居て、
安普請のアパートは廊下を歩く人の音が微かに聞こえ、ドアノブが小刻みに揺れた。
ガチャガチャと鍵を開ける音すら元気無く、帰ってきた壱は死んだ魚の目をしていた。
おかえり、と目を合わせると、不気味に、にへらと笑って無表情に戻る壱。
何やら呟いて、その後続いたのはオレちょっと寝るとかそんな言葉だったろうけれど、
たったその何文字さえ言い終わらずに、吸い込まれるように寝室に向かっていった。

仕事たてこんでいるんだろうなーとは思うけれど、壱は不満や愚痴を言葉にしない。あまり会社での出来事も口にしなかった。
胸のもやもやに気持ちをかき乱される自分とは違って、この人の節度はなんなんだろう、疲れないのか、なんて
昔尋ねてみれば、怒りを言葉にするのも結構体力使ってメンドクサイの一言だった。
忘れた方がラク、電車の通過するところ見てる感じ。投げやりな口調でそう言い放った。
根本的に考えが違うのかもしれない、だからこそ何年もこうやって過ごせるのかもしれない。

 

 

読めも出来ないような名前の子が増え、変わった名前も増えてきたけど、20代半ばにしては珍しい、
壱という少しだけ変わった名前の、この髪もじゃ男は、もとは隣の家に住む二つ年上の幼馴染だった。
父子家庭で基本なんでも器用にこなす、この一人っ子は、あたしの両親がどっちが悪いを押し付け合うみにくい離婚騒動をするなか、
「オレがお前を救ってやる」なんてさらり格好いい台詞を吐いてあたしを連れ出した。
もじゃ男の癖になんて思いつつ、何処か片隅で感動したあたしは就職の決まった壱にずるりと着いてきてしまった。
あとにもさきにも、ヒーローみたいだと思ったのは、あの時限り。

 

 

とにかく生きてくぶんだけのお金、と職探しし、仕事中にモノ食っていいし基本忙しくないことが売りだとへらっと笑った
面接官の居た小さな会社に受かって、お局さんに苛められながら仕事に行っている。
忙しくはないけど、給料も安い。社員は多くない、20名程度。社員同士は仲良くも悪くもない。
気軽でいい。だけど、ひとり嫌いな人はいる。

今日も、あなた一人っ子でしょだからかなあなたってさぁつくづく一人っ子って感じなのよねぇ、ではじまる
お局さんの説教を
実際一人っ子なので聞き流せもせずに、はぁと応え、顔だけはそれらしく反省してみる。

このお局さんは、家庭のストレスを仕事に持ち込む人で、家でなにかあっただろう日は、朝から機嫌がわるく
適当に理由を見つけては、立場の弱い人間を見つけては頭ごなしに怒る人だった。

一人っ子だから何だと言うのか、と首元をつかみ上げ言い寄る自分の姿を想像する。ああこの女階段から落ちればいいのにな。
この女がお昼休みにいつも買ってる珈琲が売り切れていたらいいのに。ヒールの踵が折れればいいのに。
いっそ離婚してひとりになって、心細さで過去を悔めばいい。眉を吊り上げて嬉しそうに人を叱る様は母と父の喧嘩を思い出した。

自分のなかで毒がどろどろと沈殿していくけれど、八方美人のあたしはそれをおくびにも出せず、
不格好な作り顔を顔に貼り付ける、そんな人間だった。
不快な言葉に言い返すことも出来なければ、傷ついている事も見せられない。

人との距離の測り方が苦手で、あまり自分を見せない、ずっとこんなだった。それでも、壱は私を拾ってくれた。

壱にはその時別に彼女も居たし、なんでそれをわざわざ構って家から連れ出してくれたんだろう。
離婚騒動の数日後には、壱は彼女には別れを告げ家を決め荷造りをしていた。
とりたてて性格もよくない長所もない顔だって普通、流されるだけ流されてまるで自分が無い。
普段は大人しいくせに、壱には八つ当たりをするし、怒ったり泣いたりする。
緩衝材みたいになってる壱には何のメリットもないだろうに、と畳に仰向けで死んだように寝る姿を眺めていた。

 

 

あの時は自分の事で精いっぱいで、差し出された手に縋ってしまったけど、
暫く経ち身辺が落ち着くと、彼女…サヤカさんの事が気になって、
電車を乗り継いで、あの彼女が通っていた大学を見に行ってしまった。

運悪く見つかった。だけど、サヤカさんはその隣に綺麗なショートカットの女の子を連れていて、その子と目くばせして、
そして私にとびっきりの笑顔で告げた「ありがとう」って。怖い、怖いよ、何がはじまるの。
混乱する私の右手を壱の元カノ、左手をショートカット女子に確保され、そのまま近くのスタバに連行されていた。
頭の中ではドナドナが流れている。私はどんな目にあうんだろう、リンチかな…。
売られる子牛に我が身を重ねながら、意識を遠くの方に向けていると、
いつのまにか生クリーム盛り盛りになった
カフェラテを握らされていた。

 

 

壱くんね、スタバ毎週奢るなら隠れ蓑になってやるって言ったんだ。
あの時はストーカーされてて。

朗らかな笑みで淀みなく言葉を繋いでいくサヤカさんは、どこか晴れやかだ。
以前交際していた元彼の往生際が悪く、待ち伏せされたり、無言電話が続いており、困っているところに壱が彼氏役を買って出たそうだ。
バイト帰り、仲睦まじく帰る様子を見せつけるうちに向こうは新しい恋人が出来たらしく、被害は止んだらしい。

それから、紆余曲折あって、今は隣のショートカットの子と付き合っているの
壱くんはいらないけどモモちゃんはあげないからねとウインクひとつ。

私もね、普通になってみたかったの。大きな波にまざって、恋愛の話がしたかった。
だから好きだと言われて、私も好きになろうと思ったけど無理で。

少しだけ、分かる気がする。彼女が自分の心に蓋をして大多数の異性の恋人を選んで普通に近づこうとしたように。
私は普通の家族が欲しかった。普通って魅力的だから。
一番傷つかずにいられるから。マジョリティは楽だ。安心する。
母も父も他所に恋人を作り、自分のことを棚に上げ、顔を合わせばお互いを罵った。

小さなころからそう。ずっと。愛がない。冷え冷えとする。小学生の頃、帰宅すると、母の香水がプンプンと匂い、
着替えを急いで破ったのか断線して転がったストッキングが脱衣所に転がっていた。
母の香水は浮気の日。浮ついた心で弾むように家を出ていく。きっと私の知らないおかあさんの顔をして。
昨日の残り物をレンチンするのが面倒でそのままシチューに口を付けた。当たり前につめたかった。その日は泣いた。
父は出張で、たまに帰ってくると、若い女の子を連れて歩いていた。隠すことをしない人だった。
きっかけがどこに転がっていて、2人の関係を壊してしまったのか分からないけれど、
もう関係が終わっていて、どちらの心も家庭には無いのに、平行線のまま走り続ける親は酷く奇異にうつった。
なぜもう壊れた関係を私のせいにして繋げたままを装うの?
子供を理由の免罪符にしないで。都合の良い言葉ばかり吐かないで。

友達の家に遊びに行き両親が揃って居ると、心がざりざりと居心地悪かった。
欲しいけれど手に入らないものは、あちこちに普通に転がってた。
当たり前のように普通に転がっていて、当たり前のようにされる話に、共感が出来ず、また笑顔を張り付ける。
お母さんったら何か欲しいものがあると、お父さんの好物を出すようになるから笑っちゃうのよね。うちもうちも。
相槌を打つ。わかるー、ぺらっぺらの言葉が転がっていく。なんにもわかりやしないのに。
同意の言葉を重ねるのだけは得意になっていってしまう。それが良いのか悪いのかもわからない。

 

 

目の前の2人は、ケーキを2人でシェアしながら、今の一口は大きかった!と怒ったりしていて。
だけど、凄く幸せそうで。
思わず、しあわせそうですね、と自然に言葉が出ていた。
元カノさんは、それはお互い様、貴方も、と返事をくれる。

壱君の手はなしちゃだめだよ。
人と同じものなんかを欲しがらなくたっていいんだよ、自分が必要なものだけ。
ちゃんと手を伸ばして捕まえていてね、大事にね。

サヤカさんとモモちゃんの両手は絡むように繋がれて、店を出ていく。
この後、季節替わりのセールを楽しむためにショップ巡りをするらしい。
誘ってもらったけれど、断る。
それでも別れがたく、大きく横にふったサヨナラの手は降ろし時を失って、2人の姿が雑踏に消えるまで、ずっと手を振っていた。

いつのことだっけ、秋の終わりだっけ。

 

 

記憶の波を辿ってぼんやりしていた頭は、ぱたた、という雨音でリアルに連れ戻される。
窓を見ると、横やりの雨が窓ガラスをたたいていた。
雨か。今日、洗濯物回しちゃってよかったな。

足を崩したついでに、壱のネクタイを緩めてあげようかと手を伸ばして、そのまま中途半端に止まってしまった。
胸元に入れられた携帯にはトトロの小さなストラップがついていた。
紐が一度切れたのか途中違う紐で結わえられている。
去年のクリスマス前に今年のプレゼントはこれだからと茶化してお揃いで買ったトトロ。
そんな思い出をまだ大事に抱えている壱のことがたまらなく嬉しくなって涙が出てくる。
しあわせなんてものは、そんな小さな日常の積み重ねでいい。
心がどきどきして死にそうなほど焦がれて顔が合うだけでときめいて
そんな急転直下な愛は向いていない。

ただ、今をずっと。これからも、ずっと。